お荘厳や法衣の故実について はじまり
この度本願寺のお荘厳や法衣の故実について書き連ねる機会を頂戴いたしました。
初回にあたり、簡単に自己紹介をいたしたいと思います。
私は平成5年富山県婦負郡の生まれです。土徳の慈毓を賜ったと言うべきか、小さいころから祖父の膝に座って御内仏でお正信偈をあげる日々を過ごし、歴史好きと相まってお寺好き少年に育ちました。
そこから浄土真宗のみ教えにも興味を持ち、中学3年生の夏におかみそりを受け「釋證眞」と名告らせていただいております。
高校生のころにみ教えやお荘厳についてのブログを執筆しはじめ、ご覧いただいていた方も中にはおられるかもしれません。
関西圏の大学に進学してからは御本山に近い環境もあり、多くの同好の諸先輩方からお育てをいただいて特に本願寺におけるお荘厳や法衣の故実に興味を持ち、就職し家庭を持った現在も、一門徒としてそうした学びを楽しんでおります。
本願寺における故実に関する論考としては、古くは『実悟記』『本願寺作法之次第』『法流故実条々秘録』『考信録』等があり、近現代には上原芳太郎『楳窓餘芳』、花圓映澄『本派中心法衣史』、大谷光明『龍谷閑話』、弘中純道『勤式作法の書』、武田英昭『勤式の源流』『本願寺風物詩』等の名著がありますが、そうした偉大な先行研究にも触れつつ、徒然なるまま思いの向くままに書き連ねてまいりたいと思います。
何分浅学非才の若輩の身につきさだめて誤りと脱漏があることと思いますので、読者諸兄の御𠮟正を賜りますようお願いを申し上げます。
ところで、令和6年4月13日・14日に、本願寺14代・信解院寂如宗主の三百回忌法要が恭しくお勤まりになりました。
そのおり奉懸された御影は通例の緋鈍色に緋紋白五條袈裟を着けられた御影ではなく、緋法服に七條袈裟を着けられた、いわゆる「大衣の御影」でありました。この大衣の御影は本願寺13代・教興院良如宗主のものから存在しており、つまりは寂如宗主が始められたものであります。
中陰、年忌には奉懸される例であり、先師の大衣の御影については御正忌中も奉懸される例でありました。
23代・信誓院勝如宗主の一周忌に奉懸されたあとその通例が途絶えておりましたが、令和5年6月の先師会から復活し、御正忌にも勝如宗主の大衣の御影にお目にかかることができました。
門末に下附される歴代宗主の御影は如信樣と一部の例外を除いて、3番型以上は鈍色・五條、4番型以下(在家御影含む)は裘代・五條の姿で描かれております。
衣の色や袴の色・文様はその宗主のお立場、ご年齢により様々ですが、一見して鈍色の御影は無文、裘代の御影は有文のお衣ですので簡単に見分けることができます。
大衣の御影は法服と言うそれらとは全く別のお衣で、七條を着けるときにしか着用しない有文のお衣であります。
それではこれらのお衣はどのようなものであったのかについては次稿に譲ることいたします。
本願寺のお荘厳や法衣の故実について 釋證眞
この度、以前より親しくさせていただいている釋證眞さんにコラムの執筆をお願いしました。
證眞さんは本願寺のお荘厳や法衣の故実について大変造詣が深く、私も日頃から相談したり勉強させていただいております。
インターネットが当たり前になった現代では様々な情報が交錯していますが、本当にレアな情報はネットでどれだけ探してもなかなかお目にかかれないこともございます。
證眞さんはその生まれ持った頭脳と環境の賜物である、お寺様や仏具店・法衣店も脱帽するようなプロフェッショナルな見識をお持ちの方です。
せっかく当ショップをご利用してくださる皆様に、お荘厳についての特別なお話を少しでも知っていただければと思っております。
そしてこれをきっかけにお仏具やお袈裟法衣に対して、より一層ご興味を持っていただき、衰退の一途をたどる当業界が少しでも元気になれば店主といたしましては大変ありがたいことです。