「喪杖」
先月の記事で登場した喪の装束のうち、杖について学説も交えながら掘り下げてみたいと思います。
中国「五経」のうち『儀礼』の喪服伝には、葬式に喪主が携える苴杖(しょじょう/そじょう)という竹の杖、削杖という桐の杖が出てまいります。古代中国では近親者が死ぬと一年間は喪に服し、哀悼に衰えて歩行困難で杖が必要になるほどの期間であるとして杖期といい、この忌服用の杖は、男は竹、婦人は桐を用いました。(矢野憲一(1998)『ものと人間の文化史88 杖』法政大学出版局)履物は菅(茅の類)で作ったものとしました。
朝鮮半島の伝統的な葬儀では、喪主は「喪杖」という杖を持つこととなっており、故人が父親の場合は竹、母親の場合は柳を用いるようです。(曺起虎(2012)「現代韓国における儒教の「死」の意識と葬送儀礼」神奈川大学日本常民文化研究所非文字資料研究センター年報第8号)また、この喪杖は、父喪の場合は、父が天であることの象徴として底を丸く細工し、母喪の場合は母が地であることの象徴として底を四角く加工しました。これらの喪杖の高さは喪主の胸あたりまでとし、根を下に向けてつきました。喪杖は、悲しみに耐えられなく食べなかったために身体が弱まったことの表示とされています。(金永晃(2000)「『四礼便覧』に見られる韓国の葬送儀礼」佛教文化学会紀要2000巻9号)
こうしてみると、葬儀の際に杖を持ち、植物製の履物を履くということは、麻生地の装束・裸足の出で立ちとともに東アジア文化圏共通の習俗とみてよいと思われます。翻って国書刊行会『葬式図絵』における明如宗主の葬送を見てみると、藁沓を履いて青竹杖を持っている者と、藁沓を履いているのに青竹杖を持っていない者がおり、青竹杖を持っている者は故人の近親者や役職上故人に近い者であって、その他の者は青竹杖を持っていません。青竹杖は故人に近い者のみが持つということから、中国や朝鮮の喪杖のありかたと同じく遭喪による近親者の身体の衰え、力落としを表示するものとして本願寺の葬儀でも用いられているものと考えられます。一方、藁沓は、葬送に参仕する者一般の履物とされているように思われますが、なぜ植物製の履物を用いるのかについては、葬送には粗末なものを用いるという文化があるということや、葬送の歩行の便を考えてのこと、といった理由が考えられるように思います。
天皇の葬送にあたっての「杖と履物」は趣を若干異にしており、葬列で御棺に随従する公家らは「白杖」を持ち藁沓を履きました。ここでの藁沓と白杖は葬送の過程で「死者の旅」を象徴しているとする指摘もあります。(橘弘文(1985)「葬送儀礼における死者の沐浴」(『待兼山論叢』19号、日本学編))
ところで、「葬送の場」で近親者は喪杖を持つわけでありますが、近世以降に公家社会で「密葬」の後に改めて「正式な葬送」が執行されるようになると、実際に火葬・埋葬を行う密葬では葬送に参加するひとびとは「如平日」の様相であり、後日の正式な「葬送」では、位牌を乗せた輿に、喪服を著し青竹杖をついた喪主や近親者が随従して葬場たる寺院へ向かいました。(的場匠平(2014)「「密葬」の誕生 : 公家社会にみる葬送儀礼の近世移行」史学雑誌123編9号)こうしたことから考えると、喪杖は実際に野辺送りをする場で持つのではなく「正式な葬送」の場で持つものであると言えましょう。
画像:明治天皇の大葬儀において葱華輦に随従する喪装の人々。(「明治天皇大葬儀絵巻物」宮内公文書館所蔵)
本願寺のお荘厳や法衣の故実について 釋證眞